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ilm20_ac01001-s.png里山の情景 2010年度

 ゆめのたね(夕日寺自然体験実行委員会)がおこなっている自然体験プログラムの報告や、準備作業などの様子をブログ形式でご紹介します。

2010.10.17 里山のクマ騒動

 夕日寺(御所町)のクマ騒動は10月17日のことでした。

 山のドングリが不作で特にブナは大凶作だそうです。奥山のミズナラはカシナガで大きな打撃を受けていますし、今年の猛暑で、里でも栗・柿・りんご等の生体落下が報告されています。子孫を残し、母体を維持してゆくための生物の戦略的自衛手段なのでしょう。
 県はクマ出没の「注意報」を「警戒警報」に切り替えました。県内推定700頭のクマたちの大半が里に下ったかもしれません。奥山では生きていけないのですから。

 クマだけではなく猪の被害拡大・能登にシカ再び・毒キノコ大豊作・アライグマやアナグマの話題も新聞紙上を賑わせました。又、カシナガ等害虫の被害も拡大。自然界は正直ですから、このような事は成り行きで、どうにも止まらないとの懸念もあります。

 冬眠に入るクマは、1日約9キログラムの餌を必要とします。栄養を蓄えないと子供も生めませんし、冬眠にも入れません。奥山に戻れず里山に居座る固体も増えるでしょう。
「人とクマとどちらが大事なのだ」「殺してかわいそう」そんな抗議が行政を悩ませているそうです。どちらの意見も説得力を欠きますし理解は得られません。根本を治療しなければならないからです。こうなったのはすべて人間のせいですし、イニシアティブを取るのも人間(私たち)だからです。

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栗の樹上にあるクマダナ
木に登って、枝をたぐって栗の実を食べたのか
木の下には、上手に栗を食べた跡の実が落ちていました
2010年9月撮影

 クマ騒動は身近な関心事ですから、家庭でも、学校でもいきなり「人と自然との共生」と言うより、「クマ」を話題に「これからの里山のありよう」等、意見を出し合うのも良いのではないでしょうか。

【文:あっきー(大野昭雄)】

2010.10.10 COP10(生物多様性条約第10回締約国会議)

 2010年、名古屋COP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催され、里山保全の国際組織「SATOYAMAイニシアティブ国際パ-トナ-シップ」の発足式がとり行われました。石川県の「生物多様性ビジョン」も紹介され、石川の里山保全への取組みが広く内外に発信されました。

 COP10という国際会議の場で日本の里山が取り上げられた意義は何だったのでしょうか。生物多様性と里山とはどういう関係にあると言うのでしょうか。
人と自然が共存し、互いに恵みを分ち合い、多様な生態系を保持し続けてきた日本の里山を「生物多様性」を話し合う中で、一つのモデルケ-スとして提起されたのだと思います。
 しかし今日、日本の里山は荒廃と環境劣化の悪循環の渦中にあり、その変わりようと、保全へのリスクの大きさに驚かされるばかりです。わずか50年の歳月の中での事です。狂い始めた現実は、身近な所でも気候や自然界の異常現象として話題にもなります。

 今年は、「国際生物多様性年」クロ-ジングイベントがこの12月金沢で開催され、COP10の結果報告や生物多様性年の総括が行なわれました。
県においても「環境フェア-、里山里海展、県民森づくり大会、いしかわ自然学校」等の行事やイベントも開催され、多くの人で賑わいました。一般の県民が「生物多様性」や「人と自然との共生」を理解し、関心を深める上で意義ある事と思います。

 今回のクマ騒動もこうした視点から見つめて見る事とします。

【文:あっきー(大野昭雄)】

2010.8.14 しんがい

 もう一つは「かくし田」の存在である。長江谷には最近まで「しんがい」という方言があり、これは「新開田」ではなく、かくし田である「新開」だと言われる。

 暮らしを支えるため、又、生きるため、悪条件で、人目の付かない山中や、奥深い谷あいを切り開き、内密の田んぼを耕作していた。いわゆるお上非公認、いや暗黙の公認なのかもしれない。断っておくがこれはもう過去のものとなった歴史認識である。

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 日本が近代化していった明治期以降、この「しんがい」はどうなっていったのであろうか。昭和40年頃にはまだ、へそくり、こづかい銭の事をこう呼ぶ事もあり、「かくし田」への関心をいっそう駆り立てる。よけいな事ではあるが長江谷は、賭け事がさかんで、遊び感覚から一部には「ばくち」化していた事も事実のようである。やはり非公認のものは後ろめたさがあり、人々をこうした行為に走らせたのかも知れない。

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 冬枯れの季節を向かえる11月下旬より、夕日寺の山々も何とか踏み込める。「かくし田」の存在も一時期、歴史の裏舞台に存在した事もこの地域のポテンシャルであろう。私たちは、日頃意識いたす事なく見逃してしまいそうな地域の歴史、文化には奥深いものがある。

【文:あっきー(大野昭雄)】

2010.8.13 後谷

 この季節は無理ではあるが、私には、子供たちへの自然体験活動の中で、どうしても見せておきたい里山の現風景がある。

「新開田」の事である。耕作が無理となり、原野化が進む広大な耕地。特に夕日寺町の農地の60%以上は集落の裏手「犬山峠・三の坂の峠」を超えた山の向こう「後谷」にあった。昭和24年のトンネルの竣工までは観音堂の横手辺りから取り付く山道を辿り、苦労して開墾し広げていった田んぼなのである。

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 前田家3代藩主利常が「改作法」により、一層の支配権を確立し、農村改革を推し進めていったのは歴史の事実である。この「長江谷」においても、わずか10年たらずで20%の石高アップをなしとげたという。それでいて村民への年貢の取立は厳しくその取り分は少なかった。暮らしは常に空腹状態であり、厳しい暮らしの現実があった。

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 夕日寺の「後谷」の田んぼにもこうした歴史的背景と、人たちの大変な苦労があった事と察せられる。ここは10数年前の災害で農道が随所で寸断され、トンネルも危険な状態となったが、お金をかけて復旧される事はなかった。

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【文:あっきー(大野昭雄)】

2010.8.12 はじめに

 2010年の夏は暑い。連日猛暑日が続いた。

 里山では萩、ねむの花が7月中旬から見られるようになった。季節感が少々ずれてきた感がする。8月はカラスザンショウの暑苦しく白い集合花が枝先に密生して咲いている。元々は先駆植物なのでたっぷりの太陽がほしいのであろう。

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 アゲハなどの蝶、虫たちをけっこう引き付けている。通う風もなく、じりじりと汗ばむこの季節の里山散策は何か目的がないとやりきれない。あまり好きな花ではないが、清涼感があり独特の風味を持つ蜂蜜が取れるらしい。

 そろそろ、くずやススキも見られそうである。お盆を過ぎると秋風が吹く。

【文:あっきー(大野昭雄)】